Feather Touch Operation

倭国 殉



 「何でこの人がここにいるんだろう…」
勿論口には出さない。
本田菊は先週イベントで買い込んだ同人誌を読みながら、たまにちらりと冷ややかな視線を「彼」に送る。
その視線の先にいるのは、猫耳カチューシャを頭に装備して熱心にアニメ雑誌を読む金髪のイケメン青年、
フランシス・ボヌフォワ。

 夕方突然、真っ赤なプジョーに乗って、バターとオリーブオイルをふんだんに使った本場本格フランス料理を土産に菊の家にやってきた。
デザートに、頭痛がしそうなほど甘い無花果のコンポートを食べながら
「アキバに行きたい」
という彼をたしなめて、仕方なく家にある個人的なコレクションを披露した。
 鉄道模型に歴代特撮ヒーローと怪獣のビニール人形、プラモデルにアニメキャラのフィギュア、食玩、リーメント、
漫画家、アニメ監督、アイドル声優のサインやアニメ雑誌に同人誌
納屋のコレクションだけで小さな資料館が出来そうなほどの量があった。
歓喜の声を上げ、レア物のお宝をゲットした冒険者さながら、嬉しそうにアイテムを物色している姿が少し癇に障る。

 菊は自分自身がオタクであることを自覚しているが、いわゆる「オタク文化」というものが好きではなかった。
オタクとは元々パーソナルな存在であり、「文化」というような大それた物を築ける人種ではないのだ。
「オタク文化」などと喜んで口にするのはそれを金儲けの道具に使っている人種である。

 ところが最近は海外にも「オタク文化」という言葉が流出し、珍しい物好きの外国人がエロフィギュアやメイド喫茶を見て日本文化を堪能した気になって母国へ帰る。
菊はそう云う場面に出会うたび、自分の恥部をさらしてる気分になり、嬉しくない。
でも、それなりに経済効果もあることなので、面と向かって「嫌だ」と云えないところが煮え切らなくて、更に自己嫌悪に陥る。

 外を見るとすっかり日が暮れてしまった。
今日は昼過ぎに、今度発行する予定の同人誌の原稿が三日遅れでやっと上がったので、後は宅配便に任せ、久しぶりに模型店めぐりでもしようと思っていたのに…。
しかし夕飯もご馳走になったので、ムゲな扱いも出来ない。
この時間で帰らないのだから多分泊る気満々に違いない。
ため息をひとつつく。
江戸末期に開国してからもう百年以上の年月が経つが、正直云うと未だに外国人は苦手だ。

 …菊がそんな事を考えながらボーっとしていると、突然後ろからフランシスが抱きついてきた。
「…菊ぅ…」
声が何だか色っぽい。
「ひやぁぁぁあああああぁっ!」
背筋に虫が百匹くらい登ってくるような不快感が発生する。
「な、な・な・な…っ!何ですかフ、フラんしスさん!? 」
自分でも声が裏返ってるのがわかった、
「菊ってさ…、こういうのも好きだったんだ?」
そう言って菊に見せたのは、以前、表紙のレイアウトや絵が可愛いから何となく買ったBL本だった。
「…!」
違う違う!とぶんぶん首を振る。しかしそんな菊にもフランシスはお構いなしだ。
「恥ずかしがる事はないんだよ、菊。
 むしろ君は可愛いし、性別という枠を超えてとても魅力的だ…。」
逃げようと身をよじる菊を軽々と捕まえて抱き寄せる。
「違います違います!!それは腐女子と呼ばれる女性のオタクが好むカテゴリーの…」
必死に説明しようとしたところで、突然、唇に「ぬめ」っとした感触が…
それがフランシスの唇だということは理解は出来たが、したくはなかった…。
「君がこんなに良く喋る子だったなんて知らなかったよ
 でも、今はもう少し静かに、ゆっくりと愛を語り合わないかい?」
フランシスの手は既に菊の着物の帯を解きにかかっていた。
「違うって――!」
半ギレで泣きながら、菊はフランシスに小内刈からの連携で綺麗な一本背負いを決めた。
「私は同性愛者じゃありませんっ!」
そう言い放って、菊は部屋を出た。


 「あいたた〜…」
大げさに腰をさすりながらフランシスが起き上がる。
「ちょっと悪乗りが過ぎたかな?」
一本背負いの振動で棚から床に落ちたリーメントを戻しながらつぶやいた。
「今は菊の機嫌を損ねてなんていられないんだけどなぁ」
ため息をひとつ。

 フランス人はやたらと日本文化が大好きだ。
それは一八六七年のパリ万博からだと思われる。
その年、初めて日本の芸術品がフランスに渡った。
入場者数は格段に増え、日本の独特な芸術は「ジャポニズム」と呼ばれ喝采を浴びた。

 その後もフランスは日本の芸術から多大な影響を受ける。北斎を知らないフランス人はまず居ない。

 更に、日本文化の流入は芸術だけにとどまらず、柔道、アニメ、ファッション、ゲームなど多岐にわたる。
フランスの多くの柔道家は「柔道はフランスの国技」と思い込んでいるし日本のアニメが海外で初めて放送されたのもフランスだ。その視聴率は60%を超え、外国アニメ放送の規制の原因になったほどである。
「ゴシック&ロリータ」は元はフランスやイギリスのクラシックなドレスをイメージして作られたファッションだが、これがフランスの少女たちに大人気らしい。
「メイド」が実在した国で「メイド喫茶」が人気だと言うから日本人からしたら複雑な気分にすらなる。

 そして日本ブームはフランスの経済にも大きな効果をもたらした。
趣味と実益の両方を満たしてくれる、こんな美味しい商売は他にそうそうあるはずもない。

 そんな中で今度はもうすぐ、独自の道をひた走りながら進化を遂げていた日本の携帯電話が、ついに世界規格に合わせると言うことなので、また何か「掘り出し物」が見つからないかと、探りを入れにきた訳である。
ただ、今の上司が嫌日派なので、おおっぴらに日本に遊びにいくのもはばかられ、なかなか予定が組めず、今回やっとお忍びで来ることができたのだ。
しかし、アポ無しの訪問の上に、先ほどの悪乗りで、しっかりマイナスポイントを稼いでしまったようだ。

 「だが俺はあきらめないさっ!」
空元気でテンションを上げてみる。
文化やビジネスだけじゃない。「本田 菊」自身もなかなか魅力的だということに気づいてしまった。
今までは確かに可愛いけれど、「いじられ系なお子様キャラ」なイメージが強く、たまにセクハラでボディタッチすることはあっても、それ以上は無かった。
しかし、よく考えればそれはそれで「萌え」定義に当てはまるではないか。

 さっきの態度からして一筋縄で落とせそうには無いけれど、考えようによってはそこがまた楽しいのだ。
「あのフェリクス相手に五回も口説きに行った、この俺様に『不可能』の文字は無い!」
完全にテンションを上げて、いざ、菊を探しに廊下に出た。


 とりあえず菊は客間にフランシス用の布団を敷きに行った。
「…はぁ…。」
不意に右手が唇に触れた。
 あの「ぬめ」っとした感触が再び蘇り、首の後ろがぞわっとする。
今までフェリシアーノやアルフレッドに不意に抱きつかれたり、挨拶で頬にキスされることはあった。
それは「友人」という枠の中で行われていることなので仕方がないと思っていた。
でも今回は「恋愛対象として」「同性に」キスされたので、菊にはとてもショックだった。
「…ぅー……。」
敷き終わった布団の横に座り、首を垂れて考え込む。
今フランシスと顔を合わせたくはないが、客間に布団を敷いた事と、夜中に自分の部屋には絶対入るなという事を伝えておかなければならない。
「………。」
半徹三連夜で疲れが溜まっている上に、原稿が上がった気の緩みと、招かれざる客へのストレスで見も心もヨレヨレの菊は、あろうことかそのまま座った格好で眠ってしまった。


 「………」
なんとなく寝苦しくて目が覚めた。
…何故かほのかに柑橘系の香りがする。
時刻はわからないけれど多分まだ夜中のはず。
…昨日は風呂も入らずに眠ってしまったような…。
朦朧とした意識の中で、頬をくすぐる「何か」にふと疑問を覚えた。
「…?」
布団がいつもより暖かく、重い。
「??」
…そういえば昨日何かあった気がする……何でしたっけ?
視線を横にやる。当然、そこにはフランシスの寝顔が…
柑橘系の香りは彼のコロン、頬をくすぐっていたのは髪か。
そしてやけに布団が重いと思ったのは彼の腕が菊の胸をまたいで肩を抱いていたから。
「―――っ!」
反射的に上半身を起こす。
大きなアクションで布団をめくり上げた。
「…っ!」
ほぼ確信はしていたが、やはりフランシスは裸で寝ていた。
 菊は自分で自分の体に触れ、ちゃんと着物を着ていることを確認し、安心から脱力してうなだれる。
とりあえず、寝ている間の貞操は守られていたようなので、その辺はほっとした。
「…ぉはよーん、寒いから布団返してー」
フランシスが起きていた事に驚いて布団から飛びのいた。
「何で他人の家で寝るときまで裸なんですか!」
「いーじゃん、裸でも。ねー菊ーぅ、お兄さんと一緒に寝ようよー」
何となく会話がかみ合わなくて菊はがっくりと肩を落とした。
ついでに突っ込むとあなたは「お兄さん」だが私は「お爺さん」だ。
「……私、寝技も得意ですよ?」
ちょっと脅したつもりだったが
「かけてー、出来ればキモチイイ寝技がいいなー♪」
と、やはり会話がかみ合わない。
 「……………。」
冷ややかにフランシスを見つめる菊。
甘えたい盛りの子犬のように嬉しそうなフランシス。
いつものあのプライドの高いフランス人は何処に行ったのやら…。

 どうせこのまま部屋に帰っても夜這いをかけてくるに決まっている。
鍵のない、襖ばりの部屋で一人、朝まで侵入者を警戒し続けるのはかなり辛い。
それなら『何もしない』と誓わせてここにいるほうがまだ安全かもしれない。
「…母の名に誓って何もしないと言えるなら、いいですよ」
「誓いまーす!」
考えなしの返事に菊は少し黒く笑った。
「もし何かしたらギメ美術館の浮世絵全部こちらに寄贈してもらいますからね♪」
フランシスの表情が三十秒ほど固まった。
「…分かりました……」
同情を引きたそうな、うなだれて返す消え入りそうな声が妙に可愛いくて、反面不気味でもある。
菊はフフン、と笑って布団に入った。

 菊はフランシスの居るほうとは逆の方に寝返りを打ち、目を閉じた。
彼の目が妖しく笑うのにも気づかずに…。

 程なく睡魔が襲ってきた。
疲れていてよかった、普段なら慣れない人と一緒では菊はなかなか寝付けない。
「!」
突然肩を抱かれ、脚を絡ませられた。
「フラ…!」
規約違反ですよ!と振り返ると、フランシスは軽いいびきをかいて眠っている。
「………。」
眠ってるなら仕方が無い。と少し体を離そうとしたとき、にわかに抱きしめられ、フランシスの裸の胸に顔をうずめる形になった。
「………!」
 コロンの香りと、少し汗ばんだ肌の匂いが混ざって、なんとも表現しにくい扇情的な匂いがする。
額の辺りに無精ひげが当たってちくちくと痛い。無意識に鼓動が高鳴る、落ち着こうと深呼吸をしてみるが、気にすればするほど落ち着けない。
素肌の触れ合いがくすぐったい。ウェットな温かみの心地よさに顔が赤らみ、お互いの素足が擦れ合うたび、くすぐったさでぴくんっと反射的に肩が震えた。
 「…………。」
目を閉じ、下唇を軽く噛む。
「……起きてるんでしょ?」
確信無く問いかけてみた。
「ばれた?」
悪びれない返事が返ってきた。
「…規約違反ですよ…」
殊勝な上目遣いでフランシスを見上げる。
「いいじゃん、このまま寝ようぜ、…何もしないからさ。」
ウィンクにフランス人らしい茶目っ気が見える。
フッと、噴出し笑いとも短いため息とも取れそうな息を漏らす。
この人には敵いませんね、と諦めた。
「……はい。」
はにかみ笑いが日本人くさくてちょっと嫌になった。
「あの…」
「何?」
「私の頭、重くないですか?腕、痺れませんか?」
腕枕なんてしてもらったことのない菊は、つい気を使って、無粋なことを聞いてしまった。
フランシスはクスッと笑って菊の頭をクシャっと撫でた。
「気ぃ使わなくても大丈夫さ、早くおやすみ…」
「…はい…」
目を瞑ったが、心臓の音がフランシスに聞こえないか心配で多分今夜はなかなか眠れない…気がする。

 菊の目が閉じたのを確認してフランシスは大きく深呼吸した。
しかし、彼が手持ち無沙汰になって髪をかき上げたり、足を伸ばしてみたり、些細な動きをするたびに、菊の肩がびくんっと揺れ、一瞬目が開く。
そんな様子を見て、昔拾ってきた猫のことを思い出した。
眠っていても、こちらが少し動いただけで目を覚ましたり、逃げ出したり…
何年も飼っていたけれど、その癖はなかなか抜けなかった。

 柱時計が二時を告げた。流石に眠くて仕方が無い。
眠る菊におやすみのキスをしたかったが、また目を覚まさせるのも可哀想なので諦め、そのまま目を閉じた。
「今回は、ここまでかな…」
台詞とは裏腹な、満足そうな笑顔で眠りについた。



 菊が目を覚ましたのは「おはよう」というには少し遅すぎる十時半頃だった。
既にフランシスは布団には居なかった。
「………。」
やはり何となく恥ずかしくて顔を合わせづらい。
菊は自分の部屋に戻って簡単に身支度を済ませ、台所に向かった。
「オハヨーゴザイマス、ご主人様♪」
猫耳猫尻尾に、裸エプロンならぬ「裸割烹着」のフランシスを見て、先ほどの重い気分がどこかに飛んでいった。
何か色々突っ込みたかったが、そんな気力すらも萎える。

 フランシスが用意してくれた朝食、カフェオレとクロワッサン、ジャムのたっぷり乗ったヨーグルトを食べながら
「あ、あの…よかったら…、今日は観光案内…しますよ?」
と、俯いたまま言ってみた。
よかったら秋葉原にも…、と言おうとしたが、フランシスは大げさに申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん、今日は昼からEUの会議があるからもうすぐ帰らなきゃいけないんだ」
「そうですか…」
菊も申し訳なさそうな顔になる。
「今度さ、また『お泊り』で遊びに来てもいいかい?」
俯く菊の顔を覗き込んで、殊勝な笑みを浮かべながら聞いてみる。
鳩が豆鉄砲食らったような顔が少しずつ赤くなるのが素直に「可愛い」と思った。
「……何もしないなら、…いいですよ」
目を逸らして答える。
これもいわゆる「ツンデレ」という奴かな、と
フランシスは満面の笑みで菊の頭をぽんぽん、と撫でた。



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