熱病

                倭国 殉



「………」
オランダは目を覚ました。
畳の上に直に寝ていたので少し身体が痛い。
外からは鳥の鳴き声と子供たちの遊ぶ声が聞こえて来る。
西側の窓から赤い陽が差し込む。
……朝焼けではない。今は夕暮れ。
腕の中で日本が小さな寝息を立てている…。
「………」
…胸が苦しい。
今まで蔑みの目でしか見たことがなかった人種の国を抱いて眠るなんて…考えた事もなかったのに…。




「…さっきな、こっちに来る時に変な二人連れ見たんやざ」
大坂が持ってきてくれたきんつばをほおばるオランダ。
「変な?」
オランダから見ればここ(日本)に居るのは変な人間ばかりだろう。
「坊主とな、頭に紫色の布を乗っけたな…、多分女装した男やと思うんやわの」
「…ああ、陰子の事ですね」
事も無げに答える日本に、オランダは怪訝な顔をする。
「かげ…こ…?」
「うーん…」
説明すると長くなるなぁと思いながら日本は自国の衆道の歴史について話し始めた。
衆道―いわゆる「男色」は元々は仏教と共に大陸から渡ってきたもので、女性と深い関わりを持ってはならない僧侶が「稚児」「色子」と呼ばれる少年を手元に置き、女性の代わりに愛でたと言うところから始まったと思われるものである。
平安時代には公家の間にも衆道は広まり、戦国時代には武士の間にも広まった。
江戸時代になると一般大衆にも広まり、歌舞伎の女形の修行の一つで男娼となり色を売ることが発端になって、男娼専門の売春業が盛んになって行ったのだ。
因みに先程オランダが見たのは、陰子が月代を隠す為に、紫色の袱紗を帽子代わりに頭に乗せていた姿だ。
「…カオスやのぉ」
日本の話を聞いてぼそっとオランダが呟く。
「はい?」
「お前んトコの文化は俺らから見たらカオスや」
茶を飲み干して盆に返す。
「しかし、それがまた面白いのぉ」
そう言って、日本の顔を見て微かに笑った。
自国至上主義のイギリスなどは他国を見ては「田舎だ」「野蛮だ」と蔑むが、誇り高きゲルマンでありながらも商業の国としていろいろな国との付き合いがあるオランダは決して他国をそんな一言では片付けない。
めったに笑わないオランダの緩んだ顔に少し嬉しくなって日本もクスッと笑った。
「オランダさんの家はプロテスタントですが、やはり同性同士の情交は禁じられているのですか?」
つい興味本位で聞いてみる。
「禁じられとってもしたい奴はするもんやざ」
そう言って煙管に煙草を詰める。
「…お前は?」
そう言ってちらりと日本の方に視線をやる。
「はい?」
きょとんとした顔を見詰め、また視線を煙管に戻す。
「…まぁ、お前は色艶話とは無縁そうやな」
煙草に火を付け、ゆっくりと肺まで吸い込む。
「あ、そうそう、以前絵のことを言っておられたので、今回来られる時にお見せ出来るようにと用意しておいたんですよ」
そう言って日本は文机の下から出した螺鈿細工の箱を開ける。
「今度は絵をいくつか持って帰りたい。次に来た時色々見せてくれ」
去年の秋、ランダがそういい残して帰ったので、日本はそれとなく「いい絵があったら集めておいて欲しい」と家の者に頼んでおいたのだ。
オランダは吸い終えた煙管を煙草盆に置き、箱の方についっと身体を寄せた。
箱の中には美人絵、芝居絵、役者の大首絵(胸から上の絵)、名所絵(風景画)、武者絵、花鳥画に戯画、漫画などがどっさりと入っている。
「ほぅ…、なかなか面白いのぉ…」
絵の束を手に取り、ぱらり、ぱらりとめくっていくと、男女の睦事を描いたものが出てきた。
「…何やこら」
突然の事に驚いて、ついいつもより声が大きくなった。
何事かと驚いた日本が絵を覗き込み、ああ、と事も無げに笑う。
「春画ですよ、オランダさんの家には無いのですか?」
無い訳ではない。しかし庶民の手の届くところにはなかった。
よほどマニアックな貴族や僧侶が、お抱えの画家に描かせて秘蔵しているくらいな物だ。
「江戸や大坂など、大きな街では色々な絵を売っていますが、田舎のほうに行くと浮世絵といえば春画です。
 我が家では嫁入り道具としても使われていますよ?」
「………」
オランダは何か云おうとしたが止めた。
欧州とこの国を比べても意味などないからだ。
…動揺を抑えつつ絵をめくっていく。
遊女との情交の絵だけでなく、農家の老夫婦の性の営み、鶏姦など、題材には事欠かない。
オランダは絵と日本を交互に見詰めた。
「なぁ…、お前は…」
…どくん、心臓の音が高鳴る。
「はい?」
咽喉が渇く。
咳払いを一つして落ち着かせる。
「…お前は…、こう云う事は…した事あるんか?」
こういう話はもっと軽く言った方がいいということは分かっている、例えばフランスが女性を口説くときのような。
しかし根が真面目なオランダにはそういう真似は出来なかった。
「…え?」
質問の意味を理解する為、日本の表情が一瞬止まる。
「えー、まぁ、…そうですねぇ…」
頬を赤らめ、少し困ったような顔で照れ笑いをする日本に、何故かオランダは少し苛立った。
「まぁ、そんな事はオランダさんには関係ないじゃないで…」
言い終わらない内にオランダは日本の肩を抱き寄せ、唇を合わせた。
「…っ……」
以前「挨拶」と言って同じ事をした。
こんな風に突拍子もなくキスをしてしまってはもう「挨拶」などとごまかす事は出来ない。
ゆっくりと、触れ合っただけの唇を離す。
「…オランダ、…さん?」
困ったような顔でオランダを見る日本。
「あんなぁ…、この前、キスは挨拶やって言うたけどな…、ちょっとちゃうんやわの」
日本の肩を掴む手に無意識に力が入る。
「…知ってます」
日本はいつものように少し困ったような顔で笑っている。
「そちらで云う『キス』は、こちらでは『口吸い』と言って、情を交わすときに行うことで…、まさか南蛮では挨拶でする事とは思わず、あの時は少し驚きました」
恥ずかしそうにオランダから少し視線をずらして笑う。
「…あの後、大坂さんに聞いたら『向こうの人かて口と口でするキスでは挨拶はしませんて』と教えてくれました」
「……!」
それを聞いてオランダの顔がにわかに朱に染まった。
……知っていたのだ。そして知っていて日本は拒まなかった。
「…日本」
日本の肩を掴んでいた手を、今度は背中に回して力加減なしで抱きしめる。
「…にほん…」
今度は黒髪のかかる耳元に唇を寄せて囁いた。
ピクンっと日本の肩が跳ねる。
眉間に皺を寄せ、ぎゅっと目を瞑ったその表情を見たオランダは、そこから先の事を考える事を放棄した。
ゆっくりと日本を畳の上に押し倒す。
「……ええか?」
それは許しを得る振りをした強制だった。
少なくとも、この状態で拒まれたとしてもオランダはそこで止められる自信はなかった。
「…一つ…、お断りしなければならない事が有ります」
困ったような表情で一瞬オランダを見詰め、日本は視線を横にそらした。
「私が…この様に情を交わすのは……貴方だけではないという事です」
…中国か。オランダはそう直感した。
「…カトリックであろうとプロテスタントであろうと、キリスト教では複数の相手と通じる事は罪とされるでしょうが…、私の家では婚姻の関係になければ男であろうと女であろうと咎める法はありません。…それをご了承いただけるなら……、…私は構いません…」
「…関係ない」
そう言って日本の首筋に唇を落とす。
――カオスや…
「んんっ!」
その刺激に身をこわばらせる日本の襟に手をかけた。
――ここは…、野蛮で…無秩序で、怠惰で、…穢れた混沌や……
「今は…駄目、…です。…大坂さんが…来る…」
そう言って拒む手が、オランダには逆に誘っているようにも見えた。
「構わん、見たい奴には見せたったらええ…」
下顎を押さえ付け、合わせた唇を舌でこじ開ける。
「…ん…んんっ!」
舌と舌を絡ませ合う、熱く、溶け合うようなキス。
日本はもう抵抗しない。オランダにされるがまま快感を受け入れている。
――それでいて優しくて居心地よく、甘く痺れさせる毒のような…
着物の裾に手を差し入れ、内腿に手を滑り込ませてゆっくりと愛撫する。
「…あ…、ぁ…っ!!」
しっとりと汗ばむ肌、切なげに上げる甘い声…
――溺れてしまいそうや…

その身に纏い付いたしがらみの呪縛を振り解いて、オランダは目の前の混沌に耽溺した。




「………ぁ」
ゆっくりと日本が目を開ける。
どんな表情で日本と目を合わせばいいか分からず、オランダは目を閉じて寝たふりをした。
「…!」
日本は夕焼けで赤くなった部屋に驚いて、反射的に上半身を起こしたが、暫くしてからまた畳の上に横たえた。
そして無言のまま、再度オランダの腕の中に顔をうずめて眠りに付いた。
オランダは薄目を開け、寝癖の付いた日本の髪を手櫛で何度か梳かすとまたゆっくりと目を閉じた。

―――…そして
   まどろみにも似た二百年の蜜月が始まった…



<<終わり>>