No Satisfaction ‐マダ マンゾクデキナイ-
倭国 殉




「…え?」
夢うつつな目で本田 菊は聞き返した。
「なんだ、聞いてなかったのか?」
「すみません……」
まさかあなたの瞳の色があまりに綺麗で見入ってました、とは言えない。
他愛ない睦言かと思ってうっかり聞き流してしまった。
…まったく、とでも言いたそうな顔でルートヴィッヒは唇を軽く噛む。

194×年
ここはバイルシュミット家の地下調教部屋。

部屋の中にはいつのころから収集されたのか、さまざまな拷問道具が置かれている。
菊もまだ試された事のないものも沢山あり、どう使うのか想像もつかないものもある。

ルートヴィッヒはソファの背もたれを倒した簡易寝台から上半身を起こし、菊に覆い被さるように顔を近づけてきた。
少し汗ばんだ、黒い絹糸のような前髪を手櫛で横に流した。
「俺がお前のことをファーストネームで呼ぶ時は、お前は俺のことを『ご主人様』と呼ぶこと。分かったか?」
「………ぇ?…」
そのあまりの大胆な発言に、菊は言葉を失った。
「返事は『はい』以外は受け付けない。いいな?」
「…そんな事、私たちだけで決めていいのでしょうか?
…上司や国民には…」
「別にお前を保護国や植民地にするつもりはない。これは非公式なものだ。」
髪を梳かした指が首筋から鎖骨を滑る。
「…ぁっ…」
ピクン、と肩が震える。
鎖骨から胸へ、縄での緊縛の痕をゆっくりと撫でる。
その下、脇腹から腿までには数え切れないほどの蚯蚓腫れと青痣が痛々しい。
「この痕もすぐに消える。」
至高の芸術品を見るように満悦の笑みで菊の身体を見つめる。
菊はその笑みがうれしかった。

抱かれることも打たれることも、別に好きではない。
でも、彼が喜んでくれるから、
痛みを受けることで、彼がもっと自分を欲してくれるから…。
「分かったな、菊。」
春の湖のような明るい青の瞳がじっとこちらを見つめている。
はにかみ笑いでごまかしながら、ルートヴィッヒの首に両腕を回した。
「はい、ご主人様…」
唇が繋がる。
目を閉じ、彼の身体ごと受け止める。
こうしていれば、何も不安は無かった。
…兄を裏切ってしまった苦しみも、もう一人の友を失った悲しみも、この時だけ忘れる事が出来た。



  ◆



20××年 某月

菊は地下室のドアを開けた。
刺すような冷たい空気と暗闇の威圧感に不意に武者震いが起こる。
懐かしい…。
このドアを開くのは何年ぶりか。
ゆっくりと目を閉じ、下唇を噛んで深呼吸をひとつ。
自分はこの部屋に入ることが許される存在なのか…
それを考えるとどうしても躊躇してしまう。

半世紀悩んで出した答えは間違っていなかったはず、と何度も心の中で呟き、一歩、ドアの内側に踏み込んだ。
部屋の内側の壁の電気スイッチを押すと、天井と壁の蜀台型のライトに暖色の明かりが灯る。
ほの暗い室内はそんなに広くない。
音を外に漏らさぬ為、反響させない為、そして装飾の為の、美しいモザイクのような木目調の壁が三面。
一面だけは、「この部屋」の雰囲気を出す為、そして実用の為のコンクリートの壁に、何本もの鉄骨が組まれている。
「……。」
小さく胸を反らし、肩をゆっくり一回上下させ、溜息とも深呼吸ともつかない長い息を吐く。
部屋の中は使われた形跡は殆どなかったが、埃も無く、道具もきちんと手入れされていた。
「あの頃」からほとんど変わっていない部屋の様子を見て菊は申し訳なく思った。
「…本田。」
突然、後ろから抱きしめられた。
菊は少し驚いたが、振り返らず少し俯いた。
自分よりも頭ひとつ分ほど背の高い、がっしりとした体。
こうやって抱きしめられた感触も、何十年もたった今でも体が覚えている。
「ルートヴィッヒさん…」
逞しい腕に強く抱かれ、拘束感と緊張感で胸が苦しい。
「…今日は、そのつもりで来たんだろう?」
問いかける声には普段の威圧感はない。
彼の優しさと、懐かしさと、そして菊の突然の訪問への戸惑いが含まれているのだろう。
「…はい。」
静かに、しかしはっきりと答えた。
もう、後には引けない。
大丈夫、彼はきっと受け入れてくれる。昔のように。
目を閉じて、心の中でそう呟いてみる。

ルートヴィッヒの指が菊の下顎に触れる。
ゆっくりと、耳の下から顔の輪郭を確かめるように移動した指先が唇に軽く触れた。
「おかえり、…菊。」
耳元で囁かれたその言葉に、菊は喉が詰まりそうになった。
背後から抱きしめられたその身を少し捩ってルートヴィッヒを見上げる。
「…私…、」
ぎこちない笑いと、詰まった言葉。
「…私、ここに、居ても…いいですか?」
絞り出すような声で問う。答えの代わりに、唇が重ねられた。
「ん…」
何度もついばむような接吻を繰り返す。
菊は背後から抱かれたまま大きく身体を捩り、ルートヴィッヒに向き合った。
彼の大きな両の掌が、菊の頬から耳の後ろまでを包み込む。
「っぁ…!」
指先が首筋に触れ、菊はビクンッと首をすくめた。
そんな様子を、相変わらずだなと、懐かしむように微笑む明るく青い瞳。
再度唇を合わせる、今度は食いつくような激しい接吻。
「んんっ…!…ぁ…」
受け止める菊の眉間が少し寄る。
息継ぎに少し緩んだ唇に、ルートヴィッヒの舌が割り入ってきた。
お互いの舌が絡み合い、交じり合う唾液が淫靡な水音を立てる。
彼が何時も食後に噛むガムの甘い香りがほのかに残る唾液を、菊はゆっくりと飲み込んだ。
のど仏が小さく動く。

ルートヴィッヒの指が首筋を伝い、ネクタイに掛かる。
ぐいっと下に引き、ネクタイが外れきらないまま、今度はボタンを上から一つ二つとはずしていった。
「……!」
激しい接吻に心も身体も任せ切り官能を享受していた菊だが、襟をはだけさせるルートヴィッヒの手にはっと我に返った。
「んんっ…!」
小さく首を横に振り、慌てて襟元を引き合わせる。
その様子に気づいたルートヴィッヒは唇を離した。
「…どうした?」
問いかける彼の顔が正視できず、俯いた。
何でもありません、そう言いたかったが、この態度では隠し事をしている事が明白だ。

「…………。」
言わなければ…。
今日はその為にここに来たのだから。
しかし、永い時を耐え、再び彼に抱きしめられ、唇を重ねてしまった今、その告白をすることによって、全てを失ってしまうかも知れない事が怖くなってしまった。

やはり、来なければよかった…。

     ◆

「そういえば、ルートヴィッヒさんの家はここから近いんでしたっけ?」
会議の休憩時間、カフェで偶然二人になったとき、菊から話しかけてきた。
「え…?あ、あぁ、そうだな。そんなに遠くはない。車で三十分もかからん。」
突然の問いかけに、ルートヴィッヒは少し戸惑った。
大体、こうやって公の場で二人で話すという事が今まで殆ど無かった。

戦後暫くして国交が再開し、国連にも加盟した。
それによってまた二人が顔を合わせる機会は出来たものの、菊の横には大抵誰かが居たので、今までプライベートなことを話すことは全くと言っていいほど無かった。
 もしかしたら菊は敢えて自分を避けているのかもしれないとすら思っていた。
でもそれは仕方のないことだ。過去に世界中を引っ掻き回した二国が仲良くしていれば、当然周りから変な目で見られる。
それを避ける為でもあったのだろうと思い、ルートヴィッヒも深く追求はしなかった。
 そしてお互い徐々に国内も豊かになり、戦争賠償金も払い終わり、G8にも加入した。
もう誰からも後ろ指を指されることはないと思っが、それでもやはり菊はあえて自分と距離をとっていると感じていた。

「私はこの(会議場の)近くのホテルに泊まっているんですよ。
…この会議が終わったら、久しぶりに遊びに行ってもいいですか?」
顔はルートヴィッヒの方を向いて笑ってはいるが、目が少し伏し目がちだったのが心に残っている。
「ああ、別にかまわんが…。」
出来るだけ自然に返したつもりだが、明らかに動揺していた。
「明日の最終日の夜はカークランドさんのパーティに呼ばれていますから、明後日の夕方に伺ってもいいですか?」
「そうだな、じゃあ、予定に入れておく。」
そこまで話したところで、二人の間にフェリシアーノとフランシスが割って入ってきたのでそのまま終わってしまった。
その夜、菊からルートヴィッヒ宛てに「明後日、夕方六時に伺います」とメールが届いた。

一体どういうつもりだ…。
ルートヴィッヒは困惑した。菊の意図が読めなかった。
先ずは、今まで半世紀以上もの間、あえて自分を避けていたようなそぶり。
国交断絶の間、数年離れていただけで、あの頃の蜜月を忘れてしまったとでも言うのか…
そして突然の来訪予告。
昔から何を考えているか分からない所はあったけれど、この度の謎掛けじみた行動は悪趣味が過ぎる。
短いメール本文を映したPCモニターの前で、ルートヴィッヒは両肘を付いて頭を抱え込んだ。

次の日の会議最終日は散々だった。
会議中は上の空で失言を繰り返し、休憩時間はローデリヒにありったけの小言をもらった。
情けない、と自分でも思う。

「…この会議が終わったら、久しぶりに遊びに行ってもいいですか?」

彼の、このたった一言に胸が苦しくて仕方がない。
本当は今すぐ彼を捕まえて、今までのことを全部確かめたかった。


     ◆


「…何か、あったのか?」
俯く菊のつむじに向かって問いかける。
「……。」
緊張で口が渇いてうまく舌が回らない。
心臓が頭まで上がってきたかと思うほど耳元に心音が響き、眩暈すらする。
「申し訳ありません…、私は…」
何とか、息とともに言葉を吐き出す。呟くような小さな声。
「私は…、もうあの頃の私では…ないのです…」
ネクタイを外し、シャツのボタンを外す。
襟を開いて露になった右肩には、少し褪せた星条旗のタトゥーがあった。
「独立したのに、消えないんです。褪せただけで…多分、一生。」
「……」
細い肩に派手なタトゥー、そのアンバランスな痛々しさにルートヴィッヒは眉を寄せ、目を逸らした。
その表情を見た菊は絶望的な気分になった。
やっぱり…!
どういう理由があろうと自分は彼を裏切ったのだ、今更「許してくれ」とは虫が良すぎる。
それも、国交再開後すぐに言えばよかったものを、いつまでも言い出せず、曖昧な態度を取り不自然に彼を避け続け、待たせた結果がこれでは全く申し訳が立たない。
自分はなんと浅ましく、恥知らずな存在だ…
「申し訳…、ありませんでした…!」
菊はそのまま地下室の出口に向かって走り出そうとした。
「待て!」
ルートヴィッヒは反射的に、その手を掴んだ。


満身創痍の身体を、尚「力」で押さえ付け、まるで子供が捕まえた昆虫の羽をむしるように笑いながら「彼」は菊を蹂躙し、陵辱した。
逆らいもしない自分に対し、更に上司の命と国民の生活を盾に絶対服従を迫ってきた。
それも長くは続かなかった。7年後、日本はアメリカから独立する。
しかしそれは名ばかりの独立だった。
国民の殆どは独立記念日があることすら知らない。
未だに『日本はアメリカの五十一番目の州』『アメリカの妾』と国民の自虐的な揶揄がまかり通っている。


「ごめんなさい、ごめんなさい…」
俯いたまま、菊の声が詰まり、震えていく。
「私は…あなたを…裏切ってしまいました…。」
菊の足元の床板にぽたり、と雫が落ちる。
「でも…、でも私は…本当は、あなたに逢いたくて…でも…」
ルートヴィッヒは菊のシャツの襟を寄せ、強く抱きしめた。
「もういい、…喋るな。」

 今まで負けたことの無いまま大国と成り、初めての負けが世界大戦、そして相手が若き強国アルフレド・F・ジョーンズ。
…最悪の敗戦だった。
勿論ルートヴィッヒの戦後も想像を絶するものだった。
ゲルマン民族の心の故郷である兄ギルベルトをイヴァン・ブラギンスキに奪われた。
一緒に暮らしていたローデリヒとも離され、二人とも連合軍に分割統治されていた。
菊とは違い、ルートヴィッヒの周りは陸続きで戦争時に攻め込んだ国々や、強国に囲まれている。
自由は無かった。それでも頑張れた。兄と再会するため、そして…

「一つだけ、聞いていいか?」
ルートヴィッヒが問う。
「お前は、ジョーンズを『ご主人様』と呼んだのか?」
抱かれた胸の中で嗚咽を殺しながら菊は首を横に振った。
「……。」
ルートヴィッヒの口元から、安堵の溜息が漏れる。
「…馬鹿だな。それならこんなもの、ただの消えない傷と同じじゃないか」
「…え?」
予想外の答えに思わず反応した。
「少なくとも、俺はこんなもの気にはしない。
 これは勝手に奴が付けたものだ、お前が望んだわけではないのだからな。
 …そうだろう?」
一瞬、涙で充血した目を上に向ける。ルートヴィッヒと目が合って、また俯いた。
シャツの上からタトゥーのある右肩を左手で押さえる。
「…でも……」
「お前が気になるなら、服を着たままでいればいい。包帯で隠してもいい。」
「…でも…」
何を言っても煮え切らない返事しか返さない菊の頭をくしゃっと撫でる。
「菊!」
ファーストネームを呼ばれ、はっと姿勢を正した。
「返事は『はい』以外は受け付けない。いいな?」
威圧的な口調と裏腹な笑顔に、また喉が詰まって下唇を強く噛んだ。
「…はい…、ご主人様…」
眉を寄せ、頑張って笑顔を作って、消えそうな声でそう答えた。
撫でられた頭が手前にゆっくりと引き寄せられ、二人の額と額が軽くぶつかる。
「俺がそう簡単にお前を手放すと思ったのか?」
鼻もぶつかりそうな間近でじっと上目遣いに目を見つめられる。
アクアマリンの明るい綺麗な青の瞳が怖い。
菊は視線を下に落とした。
「…すみません。」
ルートヴィッヒは菊の頭から手を離し、部屋の隅の棚へ向かった。
「もう一度、ちゃんと躾け直さなきゃならんようだな」
手に麻縄を持って戻ってくる。
「ぁ…」
それを見た瞬間、菊は唇を噛んで目を逸らした。

これから自分は拘束され、痛みを受けると思うと胃と心臓が同時に締め付けられる気分になる。
菊は決して被虐嗜好の持ち主ではない。
安物のポルノ小説のように、ただ苦痛を与えられることによって性的興奮を覚えることはない。
むしろ、傷や痛みを受けることは嫌いだ。
菊が被虐を受け入れるのは、それがルートヴィッヒの嗜好だから。
苦痛を受けたくない気持ちと、彼の愉しみへの貢献をしたい気持ちとの二重拘束で、まるで金縛りにあったように動けなくなってしまう。

先ず、シャツは着たままで後ろ手に縛られる。
その後首に縄を回して胸で結び、腕ごと縛られていく。
よく手入れされた麻縄は、しなやかで柔らかく、繊維のちくちくとした痛みは無い。
自分を緊縛していくルートヴィッヒの真剣な表情が好きだ。
彼は加虐嗜好の持ち主だが、その対象である菊にはとても気を使ってくれた。
菊は菊で、元々我慢強い性格だから、優しくされるとつい頑張ってしまって知らず知らず限界を超えてしまう。
以前耐えすぎて、打ちすぎたルートヴィッヒは乗馬鞭を壊してしまった。
「そんなに我慢しなくていい」
ルートヴィッヒはあきれて苦笑した。
「お前を壊してしまっては元も子もない。
 それに、耐え苦しむのを打つより、泣き叫んで助けを請うのを打つ方が楽しいんだ。」
色々と匙加減が難しい。
そんな事を思い出しているうちに上半身がきっちりと縛られていく。
胸を縛られると、肋骨が固定されてしまうので大きく息が出来ない。
でも、この感覚は嫌いではなかった。
ルートヴィッヒに強く抱かれているときと感覚が似ている気がするから。

「さあ、先ずはお仕置きだな。」
ルートヴィッヒは菊の肩を抱き、ソファの肘掛けの方へ誘導する。
肘掛が下腹部に当たるよううつ伏せにし、ズボンと下着を膝まで下ろして露になった尻を右手で軽く叩く。
ルートヴィッヒは、ソファに置いておいた長さ三十センチメートルくらいの革製のへらを取った。
これはスパンキングパドルという道具で、尻叩きに使う。
主に木製のものと革製のものがあり、木製のほうが痛みが大きく実用的ではある。
しかし、脂肪の薄い男の尻を叩くのには不向きだ。
彼が持っているパドルは特注で、靴底に使われるような硬い革が2枚重ねになっていて、表面には「Ludwig(ルートヴィッヒ)」の鏡文字が浮き彫りに加工されている。
これで叩かれた皮膚には、彼の名が赤く腫れ上がる。
本来はウッドパドルの細工だが特注で作らせた。
革が2枚構造になっているのは、尻を打った時に、同時に革同士が激しく当たる事によって大きな音が鳴る仕掛けだ。

「……。」
うつ伏せに寝かされている菊には、何時打たれるか分からないので、過度の緊張が強いられる。
勿論、そのストレスを与えることもルートヴィッヒの「お仕置き」の一部だ。

パ―――――ン!

少しじらした後、一発目が振り下ろされた。
乾いた音が部屋いっぱいに響く。
そのにごり無い音にルートヴィッヒは聞き惚れた。
「あぁっ…!」
菊の背中が一瞬反る。
その声に更に嗜虐心が煽られ、再度パドルを振り下ろす。
鞭の痛みとはまた違う、一瞬の、鈍く痺れるような痛みの後に来る、じんじんとした熱い痛み。
叩かれてしばらくすると尻が赤く腫れてくる。
蚯蚓腫れに浮き上がった「Ludwig」の文字が痛々しい。
ルートヴィッヒはそれを見て唇の端だけで笑った。
冷たい笑み。それはDNAに刻まれた動物的本能に限りなく近いものだった。
脳からノルアドレナリンが体内に流れ込む
心臓の鼓動が早なり、身体をめぐる血に乗った「麻薬」は性的興奮を更に促す。
「壊したい」それが原点。
自分の手で、菊の顔が苦痛にゆがみ、悲鳴をあげ、許しを請う様を想像すると更に「麻薬」は分泌され、身体をめぐる。

 もう何度パドルを振り下ろし、打っただろう。
ルートヴィッヒの額に汗が滲む。
「菊、お前は俺の何だ?」
パドルを振り下ろす手を止め、ルートヴィッヒは問いかけた。
「私は…貴方の…、『玩具』、です…。
 貴方の愉しみのために存在し、貴方が喜ぶことが、…私の喜び、…です。」
「そうだ、だがお前はこの半世紀、それを怠った。」
今度は腿を打った。不意打ちに菊の体が大きく跳ねる。
「お前は自分の意思で、思い込みで行動した。これは許されないことだ!」
再度、尻を強く叩く。短い悲鳴が漏れる。
「申し訳…ありません、申し訳…あぁあっ!」
クッションに押し付けた咽喉から謝罪の言葉を搾り出す。
尚もルートヴィッヒは菊を打ち続ける。
「何かあったなら俺に話せ、…そして、もう二度と俺から離れるな。
 …分かったか」
「はい…、ご主人様…」
ルートヴィッヒはようやく打つのを止めた。
「よし、いい子だ。」
少し乱れた息を深呼吸で収める。

ソファの向かいのローテーブルに腰を下ろす。
赤く腫れた菊の尻を撫でた。
「ぁっ…!」
菊の体がピクンっと小さく跳ねる。
熱を帯びた皮膚は、所々血の滲んでいる所もあった。
腫れは尻から腿まで続く。いくつもの「Ludwig」の蚯蚓腫れに征服欲が満たされた。
手を、尻から内腿に滑らせる。
「っん…」
くすぐったさに耐えられず、足をぎゅっと閉じる。
「身構えるな、力を抜け」
「…はい…」
菊は恥ずかしくてうつ伏せのまま強く目を閉じた。
心臓が暴れだすのを押さえ込むように背を丸める。
ルートヴィッヒの手が内股を撫で上げ、足の付け根から肛門まで来たところで止まった。
「ここは、今すぐ使えるのか?」
それはなんとなく口から出た台詞で特に意味はなかった。
もう長らく使っていないなら今すぐ使えるように調教してある筈はない。
使えそうにないならそれでもいい、
口なり腿なり、欲情を吐き出す場所はいくらでもある。
しかし、菊の口から出た返事は予想外だった。
「はい。いつでも使えるようにはなっています。」
返事を聞いてルートヴィッヒは意外そうな顔をした。
「自分で、拡張したのか?」
「…はい。」
「…プラグで、か?」
「……はい。」
だんだんと菊の返事が小さく、遅くなる。
「プラグ」とは「アナル拡張プラグ」のことで、シリコーン製の、ディルドゥに似ている道具だ。
長く挿入し続けることで括約筋をほぐし、柔軟にする。
 ルートヴィッヒはまるで医師の問診のように淡々と質問するが、内心は羞恥しながらも真面目に答える菊が可愛くて仕方なかった。
「何時から入れていた?」
「………一昨日の…夜から、です。」
「一昨日…、お前が会議の休憩の時に声をかけてきた日、だったな。」
「…はい。」
「……と、言うことは…」
今まで真顔だったルートヴィッヒの表情が引きつる。
「昨日の会議も、その後のカークランドのパーティにもプラグ装備で出席していたのか?」
「…………」
「返事は?」
「………はい。」
菊は恥ずかしくてクッションに顔を押し付け、黙り込んでしまった。
顔が熱くて耳鳴りがする。お願いだからこれ以上はもう何も聞かないでほしい。
ルートヴィッヒは昨日の、別段変わったそぶりの無かった菊の姿や表情を思い出し、その実は自分のために健気にプラグでアナル拡張を行っていたのかと思うと、自然と笑みがこみ上げてきた。
「お前は本当に…、可愛いな。」
無言で石のように固まっている菊の頭をくしゃっと撫でた。
「………。」
男の自分が、自分より年下の男性に言われてうれしい言葉ではないはずだけれど、菊は素直にただ嬉しかった。
無言で顔を隠したまま、少し頬が緩んだ。

ルートヴィッヒはローテーブルの上の箱から出した薄いゴム手袋を右手に装着し指先にたっぷりオイルを垂らした。
「一応確認はしておかなくてはな」
菊の背後にしゃがみ込み、尻たぶを押し開いて、露になった後孔を中指でゆっくり愛撫する。
「ぁあっ…!」
オイルを塗った温かく滑りのある指先に触れられ、菊の腰に小さな電流が走った。
ゆっくりと中指が穴に沈み込む。
「ゃ…、だめで…す…」
菊はうつ伏せのまま、首を小さく左右に振る。
「何が駄目なんだ?お前はこうして欲しくて一昨日から準備していたんだろう?」
「でも…、…あぁっ!」
中指が付け根まで易々と沈み込んだ。
「うん、確かに、これならすぐ使えるな」
一旦第一関節辺りまで引き抜き、今度は人差し指と共に再度押し込む。
「ひあっ!」
付け根まで押し込んで、内壁を掻くように動かす
「あ、ぁ、あぁっ…!」
苦しそうに呻く菊の声に下卑た欲望がそそられる。
ルートヴィッヒは右手で菊を弄りながら左手で自分のズボンと下着を下ろした。
「入れるぞ…!」
指を引き抜き、代わりにはち切れんばかりに膨張したペニスを突き立てた。
「ぅ…、あ、ぁあ……っ!」
指とは比べ物にならない圧迫感に菊の顔が歪む。
柔らかい肉壁を押し広げて、ゆっくりと根元まで押し込まれていく。
「あぁ、久しぶりだな、お前の中…」
菊の腰を両手で掴んで小刻みに揺らす。
「あぁっ…!」
肩や背中、首筋に小さな電流が流れる。
「駄目…!だめです…!ぁあっ…!もう…、もう…!」
「…イキそうか?安心しろ、俺も長くはもたん」
小柄で細身の菊の中は狭く、摩擦感が激しい。
「…菊…!」
彼の名を確認するように小さく呟く。
自分の下で必死に首を横に振って喘ぎ耐える、自分だけの『玩具』の名前。

「私は…貴方の…、『玩具』、です…。
 貴方の愉しみのために存在し、貴方が喜ぶことが、…私の喜び、…です。」

ルートヴィッヒは知っていた。
菊が本来は打たれることも、男に抱かれることも決して好きではないということを。
それでも貴方が好きだから。と菊は言う。
そんな菊を、ルートヴィッヒも愛しくて仕方が無かった。
自分の全てを受け入れてくれる彼を、自分も受け入れたい。
例え誰かに奪われても、汚されても、その気持ちは変わらない。


    ◆


目が覚めると、既に縄は解かれていた。
ソファの背もたれを倒した簡易寝台の上で、隣には愛しい人の寝顔があった。
「………。」
シャツの上から右肩に触れる。

「…馬鹿だな。
 それならこんなもの、ただの消えない傷と同じじゃないか」

「少なくとも、俺はこんなもの気にはしない。
 これは勝手に奴が付けたものだ、お前が望んだわけではないのだからな。
 …そうだろう?」

「……。」
「彼」にされたことは、未だに忘れることは出来ない。
でも、もう大丈夫。この人と一緒なら、きっと……。
「菊…、起きていたのか…?」
ゆっくりと目が開く、秋の空のような、澄んだ青い瞳が自分を映す。
「はい。」
「身体は大丈夫か?麻痺したりしている所は無いか?」
相変わらず気遣ってくれるのが嬉しい。
「大丈夫ですよ、痛い所はたくさんありますけど。」
にっこり笑って返す、彼もつられて笑った。
「…まだ足りないな…」
確認をするように、縄の痕にゆっくりと指を滑らせながら呟いた。
「もっともっと傷つけたい。
 お前は俺のものだと、その身体に刻み付けたい…。」
菊は少し眉を寄せて微笑んだ。
「大丈夫ですよ、私はもうどこにも行きませんから。」
「当たり前だ。」
肩を引き寄せられ、唇が合わさる。

まだ足りないならまた明日がある。
未来永劫の、蜜月…。


■Das Ende■