恋愛症候群
―その発病及び傾向と対策に関する一考察―
倭国 殉
「大坂さん、大坂さん…!どうしましょう?ああっ!私の馬鹿馬鹿馬鹿…!」
布団に包まったまま御国日本さんは部屋中をゴロゴロと転がっている。
…せやけどホンマこの人(国やけど)見てて飽きひんわぁ。
引き篭もりになって十年以上、春が近づいた頃から日本さんの様子がおかしなった。
朝から茶柱が立つまで何回もお茶を淹れてみたり、
引き篭もりの癖に外が気になってしゃあないみたいで、布団を頭から被ったまま窓辺に日がな一日座り込んでたり、
何か書こうと筆を取っては置き、そしてまた筆を取り、小一時も繰り返した後突然ぱったり止めてしもぅてそのまま布団に包まって芋虫になってたり、
鏡を置いて、その前で右を向いてみたり左を向いてみたり、髪をかき上げてみたり、笑ってみたり、上目遣いになってみたり、
掌をじぃっと見つめてみたり、中国はんから貰った占いの本を引っ張り出してきて必死に読んだり、
突然優しい言葉をかけてくれたり、…と思ったら怒り出したり、部屋の隅っこで膝を抱えて座り込んで爪を噛みながらブツブツ独り言を言ってたり、突然叫んだり、
夜中に呼び出されて稲荷鮨がどうしても食べたいから買ってきて欲しいとせがまれたり…。
あんまり阿呆な事ばっかりやっとったら御上から何か云われるでホンマと思いつつ、日本さんの観察が面白いさかいこっちもあんまり野暮な事は云わん事にしてる。
見世物ちゃうっちゅう事は分かってんねん。分かってんねんけどオモロイから止められへんねん。
自分はその原因が何か知ってる。御国自身は自分でまだそれに気付いてへんみたいやけど。
…教えたげてもええねんけど、まだもうちょっとこのままでいたいねん。
桜の花が散った頃から日本さんは更におかしくなり始めた。
一日に三回もお風呂に入ったり、お香袋を三つも四つも袂に入れてみたり、
箪笥やら引き出しやらをひっくり返して服の中に埋もれてみたり…。
錦絵を見て同じポーズ付けてみたり、
突然講釈師になったみたいに一人でべらべら喋りだしたり、浄瑠璃やら狂言を始めたり、歌舞伎役者になりきってみたり…
声をかけても無視されることが増えたり、妄想の世界に入って一人でニヤニヤニヤニヤしててめっちゃ気持ち悪かったり…。
そして今日、一年ぶりにオランダはんが来やはった。
「あ…、あんなぁオランダはん。…日本さんやねんけどなぁ…、最近、ちょおぉっと…おかしいねん。
気病の一種やと思うんやけどな…、ちょっと躁鬱が激しいてな…。
せやさかい今日は…会わんと帰らはった方がお互いの為にええかも…」
無駄なんは分かってても一応警告してみる。
「あの」日本さんとオランダはんを会わせたら、そら面白いことにはなるやろうけど…
「阿呆、さっさと日本出してこんかい。病気やったら診たるわ」
その刹那奥の障子が開いた。
「…っ!」
……うわー…。
ヤバイ、ちょっと正視出来へん…。
普段むっつり顔であんまり表情を出すことの無いオランダはんも固まったはるし…。
目の前の御国は、隈取こそは入れてへんかったけど、水化粧を塗ったくった真っ白な顔に赤い目張りと太い眉を書き込んで、ド派手な錦の着物を纏って、身体に不釣合いな大きな太刀を持ってドヤ顔で立ってはった。
「………」
オランダはんの視線が日本さんの頭のてっぺんから爪先まで忙しく往復してる。
…そらぁね、確かにね、歌舞伎役者って言うのはかっこええですよ?
そやけどね…。
そやけど…
あぁぁ〜…!
「………ひさしぶりやの、日本」
オランダはんのその台詞に「ちょっと会わへんかった間にこんなに変わってしまって…」、と云う言葉が織り込まれているような気がして肩が震えてまう。
「べ、別にオランダさんに会いたくて待ってたとか云う訳じゃないんですからね!誤解しないで下さいね!
今日はたまたま街で流行りの歌舞伎役者の真似事がしたくなっただけなんですから!」
いや、誰も訊いてへんし…。
誤解とか言われても困るし…。
役者絵は流行ってるけど、こんな格好街中で見かけたことないしぃ…。
大体アンタその衣装どこから手に入れたんですか?
「…ほうか…、忙しいとこすまんかったのぉ。
風説書持って来たさけぇ暇な時に目ぇ通しといてくれ。
…また今度来るわ」
オランダはんはそう言って、日本さんに書類(風説書)を渡して玄関を出た。
その時の日本さんの顔は…化粧でよぅ分からへんかったけど、かなり動揺してたみたいやった。
「ねぇ大坂さん…、この装いは…格好良くなかったですか…?」
自分が想像していたリアクションを取ってもらえんかった日本さんのその台詞からは少し動揺の色が見え隠れしてる。
「あー…、そらねぇ…まぁ…格好はええと思いますけど…」
この表現をどう八橋に包めばええのんか悩んで言葉が詰まる。
「…つまり…『変』って言うことですか…?」
日本さんの声が段々トーンダウンして行ってる。
「いや、まぁ、…その…、変って言うか…」
あぁ!すみません日本さん、何か全然言葉が見つかりません…!
「……ですね…」
日本さんは何か呟いて部屋に入って障子を閉めた。
着替えて落ち着いたらお茶でも淹れてあげようと思ってお勝手に行くと、オランダはんに出そうと思っていたのか、水屋に茶菓子が置いてあった。
「…?? 」
その茶菓子を良く見ると、それは桜色のハートの形の練りきりで、食紅で「Nederlanden(ネーデルラント)」、「日本」と書かれていた…。
…日本さん。
いつの間にこんなモン作ったはったか知りませんけどこれはちょっと浮かれすぎちゃいます?
浮かれた反動で日本さんはどっぷり欝に浸りきってた。
普段の着物に着替えた日本さんは雨戸を閉めた真っ暗な部屋の中で布団を被ってじーぃっとしてる。
たまに叫び声も聞こえてくる。
…まぁ仕方がないわな、これも人生(?)経験や。
「…絶対変な奴だと思われてますよね…」
この問いかけを何度聞いたことか
「そらそうやろな」と答えても「そんな事ないんちゃいます?」と答えても日本さんはうめき声を上げながら部屋の中をゴロゴロと転がる。
なんやホンマ可哀想になってきたわ。
「…日本さん、ちょっと聞きぃな」
部屋に入って暗い部屋の中、正座で向かい合ってちょっと改まった感じで話をしてみる。
「あんなぁ、日本さんは今なぁ…、その、気病みたいなモンなんや」
「…き…やまい?」
病気の一種と思ってかなり驚いてるみたいやな。
うーん、分かり易う説明するにはどう云うたらええんやろう…。
「…確かに…、最近自分でもなんかおかしいなぁとは思っていたんです…。気病…、ですか…。
…私…、…私…、土蔵か座敷牢に死ぬまで幽閉されてしまうんでしょうか…?」
暗くて表情はイマイチ分からへんけど、消え入りそうな小さい声が震えてるのが分かる。
引き篭もりのくせに幽閉されるんは嫌なんか。
「…そんなたいそな病気ちゃいますって!」
あかん、欝モードの日本さんにはかなり言葉を選ばな…、下手な事云うたら死んでしまうかもしれん。
「まぁなんです?お医者様でも草津の湯でも治らへんとは云うけれど、麻疹みたいなもんやと思てくれはったら分かり易い思うんですけど…」
「不治の病!?麻疹!?
麻疹ってアレですよね?大人になってから罹ると大変なことになるって言う…
そんな大変な病気で更に不治だなんて…!」
…初潮も来てへんようなナリして何が「大人が罹ったら〜」やねん。(ここツッ込むとこやで)
ホンマ面倒くさい御国やなぁ…。
しゃあない、ここはズバッとストレートに云うしかないわな
「…あんな、日本さん。日本さんはな…」
といった刹那
「邪魔するでー」
玄関からオランダはんの声がした。
「…ええ!? 」
何でまた来んねんな、帰ったんちゃうんかいなっ!
玄関まで出向くとオランダはんがでかい鞄を抱えて立ったはった。
「日本が病気や云うとったから診察道具持って来たったんや」
そう言ってオランダはんが玄関を上がろうとした時、
「チョト待つアル!」
と後ろから呼び止める声が…
振り返るとやはり大きな鞄を抱えて息を荒げた中国はんが立っていやはった。
「日本が病気と聞いたアル! 我が診てやるアル!
人の身体切り刻んで悪いトコロは取っちまうような外道医術に日本の身体を任せる訳にいかねーアル!!
」
あぁもうっ!また話がややこしいなってきたでぇー、
っちゅうかなんで中国はん、日本さんが病気やて知ってんねんな…。
「我の薬と整体で血と気のめぐりをきちんと治せば日本の具合はたちまち良くなるアル!」
オランダはんに対してバチバチ火花を散らしてるんが目に見えるようや。
「あ、あんなぁ中国はん…、日本さんの病気云うんはな…薬で治るモンちゃうねん」
「何でお前が知ってるアルか!? 知ってるなら聞かせてもらうアル。日本の病気は何アルか?」
えええっ!? …こ、ここで云わなアカンのん!?
オランダはんの顔をチラッと見るとオランダはんも自分の見解に興味津々な様子で、じーっとこっちを見たはる…。
そんなん…、自分が勝手に、日本さんの居いひんトコで云うてしもてええんかいな…。
「…さっさと云うヨロシ。云わねーと蹴り食らわせて縛り上げて、晩飯の白湯スープの出汁にするアルよ!」
中国はんが胸ぐら掴んで殺気立った顔を近づけてくる。
自分がスープにされてしもうたら大坂城とか淀川とかはどないなってしまうんやろとかちょっと考えてしもうたわ。
「…ええと、その…、…あの…」
助けてオランダはん!
しかしオランダはんも自分の言葉を待ってるようで、助けは全く期待出来へん。
「ちょぉ離してぇな中国はん、…日本さんの病気はな……………………恋煩いやねん」
…云うてもぉた…!
「恋煩い?」
信じられんっちゅう顔でまだ自分の顔を睨み続ける中国はん。
腕を組んで不思議そうな顔でこっちを見たはるオランダはん。
「だ…誰にアルか!? 」
そない声荒げんといてぇな!日本さんに聞こえるやんか!
「……多分な。多分やで?…九分九厘やと思うけどな…」
ちらりとオランダはんの方を見る、声のトーンをさっきよりもうちょっと下げてそれを云ってもうた。
「……オランダはんや」
「…………………………」
今この空間に天使が通った。…気がする。
「嘘つくなアル!! てめぇの『多分』は一割にも満たねぇ嘘っぱちアル!!
」
中国はんは胸ぐらを掴んでた手で今度は襟締めまでしてきた。ちょぉやめてぇな、命が死んでしまうわー!
オランダはんは呆然とした顔で、咥えてた煙管を地面に落としてしもた。
表情には出さへんけど、その実はかなり動揺したはんねんな。
「……ですか?」
背後から蚊の鳴くような声が聞こえる。
……えええぇ!?
「それ…、どういうことですか…?」
振り返ると顔を真っ青にした日本さんが立ってた。
「…お医者様でも草津の湯でも治らない病気って…麻疹みたいな病気って…恋煩いって…どういうことですか?
なんで大坂さんがそんな事知ってるんですか?
…どうしてオランダさんの前でそんな事言うんですか?」
アカン、完全にテンパってはるわ…。
日本さんはそう云った後、オランダはんと一瞬目が合って、一旦固まってから慌てて部屋に逃げ帰ってしまわはった。
「……オランダはん…?」
声をかけるとオランダはんははっと我に返ったようにこっちを見た。
「すんまへんけど…、御国とちょっと話したって貰えんでしょうか?」
「………」
オランダはんは無言で俯いた。
「アンタが御国の事好きでも嫌いでもええねん、…悪いですけど、頼めるんはアンタしかないんですわ」
オランダはんは少しの間躊躇したはったけど
「…分かった」
と言って日本さんの部屋に行ってくれはった。
「………」
それを恨めしそうな顔で、言葉もなく見つめてるだけの中国はん。
…俺かてどうしたらええか分からへんで、暫く胸ぐら掴まれたままのポーズから動けへんかった。
中国はんとは、日本さんも小さい頃からの付き合いで、身内とか師匠とか、多分そういう気持ちしか湧かへんかったと思う。
…他のアジアの国もそうやろな。
そやけど、江戸の時代になって、それなりに自国独自の文化が発展して…、いわゆる「自我」に目覚めた御国が、初めて身内以外で身近に感じたのがオランダはんなんやろうな…。
淡い淡い、自分でも気が付かへんかったような初恋。
…なんか俺が引っ掻き回したみたいで非常に申し訳ない。
もっと前に、ちゃんと教えといてあげたらこんな風にならへんかったんかもなぁ…。
せやけど、…自分かてなぁ…、認めたくなかったんや、ホンマは。
御国に好きなヒトが出来たなんて、…なんかすごい悔しかってん。
「何でアルか…、何でよりによって南蛮なんかに惚れるアルかぁ…」
玄関に座り込み、半べそ状態の中国はん。
俺はこっそり御国の部屋の障子に張り付いて耳をそばだてた。
「………」
「……!」
「…………」
「…?」
オランダはんと日本さんの話し声が聞こえる…。
…よかった。
日本さんはちゃんと自分の口で自分の気持ちをオランダはんに伝えられたみたいや。
ホンマ、良かった…。
それだけ確認すると玄関に戻って、帰ろうとする中国はんを後から捕まえた。
「中国はん、今日はとことん付き合わせてもらいまっせー?」
右手の親指と人差し指で、猪口をクイッとあおるジェスチャーをする。
「………?」
怪訝な顔やった中国はんも、苦笑いして自分の肩に腕を回してきた。
「そうアルな!よし!今夜は飲むアルよ!寝かさねーから覚悟するヨロシ!」
俺は御国の一員で…、中国さんは身内で…
日本さんのことをどんだけ思っても、多分それは一方通行やと思う。
…せやけどまぁそれはしゃあない。
俺的には傍にずっと居られるだけで幸せなんやし…。
それに日本さんが幸せやなかったら俺等かて幸せになれへんもんな。
季節は初夏に移って、紫陽花の蕾が梅雨を待っている。
御国が幸せでありますように…
終わり